共感と創造性

創造性という言葉は魅力的です。だれもが、創造的でありたいと願うのではないでしょうか。それでは創造性はどのように生まれるか?創造性の源泉には言葉にならない感覚の世界、 それを共有することが第一歩です。共感とは意識して感じるものではなく、 自然と映ってきてしまう(*職場の現象学:フッサール現象学の三層構造の第一層でおこっている)ことです。

最近、 職場における共感の重要性がよく語られますが、 それは共感しようと努力することとは全く異なる意味で重要なことです。 なぜなら、 その場にいる限り、 言葉で語られることとは関係なく、 感覚はおのずから人から人へ、その場において「 (鏡のように) 映ってきてしまう」ものだからです。

言葉にする手前のところでその意図は容易に感じられます。 それは人であれば誰もが感じることです。 共感は身体によって伝わるのです。わかろうとする態度や意図的な共感(能動的志向性)はかえって邪魔になることすらあります。 共感が押し付けられているように相手が感じてしまうからです。

実際の共感は、 共通感覚、 つまり、ともに身体を動かすことによって伝わっていく「感覚的」なものです。 たとえば、 工場などで朝に準備体操を全員で行うのは、 身体感覚で共感することを促しています。 また、 日本の職場などで先輩が後輩に仕事を教えるときにも、 言葉よりもやっているのを見せて教える、 一緒にやってみるといったことが多いのではないでしょうか。 いくらマニュアルを読んでも、 肝心なところは伝わらないものですし、 だからこそ一緒にやってみることが意味を持ちます。

「感じていること」を言葉や形にすることは、 実はとても難しいことです。 知識創造理論では「表出化」と呼びます。 感じていることを言葉にできれば、 より簡単に思いを伝えることができるのですが、 これがなかなか難しい。自分の気持ちにぴったりとした言葉は簡単には見つからないモノです。

職場における心理的安全性が創造性に関係があると言われるのも、 心理的安全性がなければ、 人は自分の本当の想いをあえて言葉にしようとはしないからです。 心理的安全性とは、 英語の直訳でこなれていない日本語ですが、 意訳すれば「この場では何を言っても大丈夫という安心感」であり、 その安心感があることによって人は、 自分の感じているモヤモヤとした思いを言葉にすることに集中できるのです。

どんなにうまく言葉を並べたところで、 それが自分の感覚とつながっていなければ、 相手の感覚に響くことはありません。 相手の感覚に響かなければ、 行動につながることもないのです。よくビジョンやミッションの共有が大事だと言われますが、 頭でわかっただけでは、 それを行動につなげられないのと同じです。

自分の感じていることにぴったりした言葉、 ぴったりしたモノやコトに出会ったとき、 人は本当の表出化を体験します。 自分のなかでモヤモヤした感じをぴったりした言葉で表現できたとき、 人はわかった(腑に落ちた)と感じるのであり、 それが創造性の入り口です。

でも、そこに至るのは簡単なことではありません。 感覚が共有された職場において、 誰かや何かによってうまく表出化がなされたとき、 一人だけでなく複数の人が一気に何かに気づくということが起こることがあります。 それが共感による集団的な創造性の現象なのです。

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