各用語の最後に、本書でその用語が使われている頁数が記載され、主だって描かれている頁は、太字になっています。また、各用語の説明のさい、他の箇所で別の用語の説明がなされている場合、その用語に(→)の記号が付されていますので、その用語の説明を参照してください。

ミラーニューロン

他の生命体(動物)の動きをみて、何をしようとしているのか、その行動の意図がわかる(映しだす鏡の)ような脳神経細胞群(ニューロン)が「ミラーニューロン」と呼ばれます。このミラーニューロンは、幼児期に次第に形成されてきます。個別的な感覚野が初めからでき上がっているのではなく、原共感覚(→)から「ゼロの運動感覚(→)」の意識などをとおして分岐派生してくるように、ミラーニューロンにおける「運動感覚の変化と視覚像の変化」との連合は、幼児期における幼児の学習をとおして生成してくるのです。そのさい、養育者と幼児の間の情動的コミュニケーションがもっとも重要な役割を果たしています。

掲載ページ⇒54, 56, 61, 63, 273

未来予持(みらいよじ)

「静かになったと思ったら、ついていたクーラーの運転音が止んだことに気づいた」という例で、「静かになった」と気づけたのは、静かになる前と静かになったときとが感じ分けられたからです。「静かになった」と気づける前には、聞こえていなかった“クーラーの音”が意識されずに過去把持(→)され、それがそのまま、同様に意識されずに予測されていました(これが「未来予持」といわれます)。この未来予持された“クーラーの音”が、そこに与えられないとき、“聞こえるはずのクーラーの音”の予測が外れ(未来予持が満たされず)、「意外さ、驚き」として感じられ、「クーラーの運転音が聞こえていたこと」に気づけるのです。私たちのすべての感覚には、いつもこの未来予持と過去把持が受動的志向性(→)として働いているのです。

掲載ページ⇒41, 42, 44, 73, 75, 76, 78, 87, 321, 322, 336

無心

無心というのは、我を忘れてその物事と一つになって集中している態度のことを意味しています。本書では、さまざまな実例が示されていますが、その代表的な例をドイツ人哲学者E. ヘリゲルの「無心に弓を引くこと」にみることができます。1924年から1929年まで、東北大学の客員教授であったヘリゲルは、弓と禅とは究極において一致しているとする「弓禅一致」を提唱する阿波研造範士のもと弓を学び、5段の免許を得てドイツに帰国しました。その修行をとおしてもっとも重視されたのは、自分が呼吸しているのか、呼吸に呼吸されているのか分からなくなるほど呼吸に一つになって弓を射るという、禅の修行で中心になる「呼吸に一つになる」練習でした。その練習をとおして、阿波範士に指示された、呼吸に一つになったまま、「弓を張って、赤ちゃんの手が開くように、矢を放つ」、我を忘れて無心に矢を放つことができた、その実体験が、彼の著書『弓と禅』において描かれています。

掲載ページ⇒13, 120, 122, 124, 127, 128, 242, 296, 300, 304, 306, 308, 327, 337, 348