各用語の最後に、本書でその用語が使われている頁数が記載され、主だって描かれている頁は、太字になっています。また、各用語の説明のさい、他の箇所で別の用語の説明がなされている場合、その用語に(→)の記号が付されていますので、その用語の説明を参照してください。
発生的現象学
発生的現象学は、現象学において解明される「意味づけと価値づけ」に向かうすべての志向性(自我意識が形成される以前の受動的志向性と自我意識が形成された後の能動的志向性の全体)の生成のプロセスを問う現象学の研究領域を意味しています。発生的現象学は、発達心理学などの自然科学の方法による外からの観察によってだけではなく、「意味づけと価値づけ」である生命体の志向性の生成を生命体と周囲世界との相互関係の歴史的生成のプロセスを、志向性の生成の歴史として考察しようとします。
そのさい用いられるのは、脱構築(→)の方法といわれ、大人で活用されている能動的志向性(→)による能動的綜合(→)を幼児にはいまだ働いていないとして、志向性の全体からいわばカッコに入れ、使わないようにしたとき、能動的綜合がそれとして働くために必要であるような、それまで明らかにされていなかった受動的綜合の層が解明されてくる可能性に開かれているのです。
掲載ページ⇒68, 84, 86, 129, 342
判断(の一時)停止
たとえば、 口喧嘩の後、どうしてそうなったのか、自分の言ったこと、その時の相手の表情、どんな言い方をしたのか、その時の状況を一コマ一コマ繰り返し、ビデオを見るように、自分と相手の言葉のやり取りと感情の起伏を振り返ってみて、そうなった原因や理由を本当に納得できるまで考えてみる習慣づけが、判断の一時停止と呼ばれます。
なぜ「判断」という言葉を使うのか、というと、人は言葉のやり取りをするとき、「何について(言葉の意味)」という知性的判断と「どのような言い方(穏やかな言い方か、きつい言い方かなど、快・不快という価値づけ)」という感性的判断がいつも働いています。口喧嘩ともなれば、この知性的判断と感性的判断が矢継ぎ早に行き交っているわけです。その最中にこの知性的判断と感性的判断を停止することはできず、この判断の絶え間ない流れを停止してみることは、事が起こった後で初めて可能になるのですが、この事後の反省が、出来事の最中に自然に起こるように、身についてくることも可能なのです。
掲載ページ⇒57, 63, 146, 165, 176, 209, 282
本質直観(の方法)
本質直観というのは、ものごとの本質(「〜とは何か」という問いに対する答え)が直観できる(はっきり分かる)という現象学の方法のことです。ものごとの本質は、時代(時間)と場所(空間)の違いにもかかわらず、人間に普遍的に当てはまる真実(真理)です。この物事の本質を直観する本質直観の方法は、二段階に区別できます。たとえば、「共創的人間関係」の本質直観を例にすれば、第一の段階である「事例収集」の段階において、「共創的」とは何か、「人間関係の本質とは」と問いが立てられるとき、それぞれの問いに関して、社会学や経営学、心理学や生理学等、精神科学や自然科学の研究成果を、いわゆる「形式知(→)」として総動員してSECIモデル(→)における「連結化(徹底した理論化)」を行おうとします。
このとき、この連結化が完全に遂行されるためには、本質直観の第二段階である「自由変更(→)」が必要とされます。というのも、精神科学や自然科学の研究成果(形式知)を収集するだけでは、完全な連結化のためには不十分であり、すべての形式知がその前提にする、身体知や経験知ともいわれる「暗黙知(→)」からの「表出化」を明らかにし、形式知を暗黙知に適応する「内面化」によって暗黙知と照らし合わせることが必要だからです。そのさい活用されるのが、「自由で積極的な人間の想像力を最大限に活用する自由変更の方法」なのです。
掲載ページ⇒61, 62, 64, 68, 127, 128, 132, 146, 165, 314, 337, 339, 341