各用語の最後に、本書でその用語が使われている頁数が記載され、主だって描かれている頁は、太字になっています。また、各用語の説明のさい、他の箇所で別の用語の説明がなされている場合、その用語に(→)の記号が付されていますので、その用語の説明を参照してください。

あなた-あなた関係

この私にとってあなたの顔の表情は見えても、私自身の表情は、直接、見えません。それはあなたにとっても同じで、私の顔の表情は見えても、あなた自身の顔の表情はあなたには見えていません。お互いにあなたの顔の表情しか見えていないことが、お互いにとって「あなたの表情」に合わせる、「あなたの笑顔」を見たいことから、人の生き方が決まってくる、そのような人間関係を「あなた-あなた関係」と呼びます。

掲載ページ⇒6, 29, 30, 114, 234, 254, 268

暗黙知と形式知

暗黙知は、M. ポランニーがその『暗黙知の次元』で使っている用語で、「言葉にできるより多くのことを知ることができること」を意味しています。ポランニーは、この書物で、大工仕事で弟子が師匠の鉋(かんな)かけの技能を習得しようとして、自分が師匠になったかのように、鉋かけをする師匠の身体に「棲み込む(dwell in)」ことのできる能力を暗黙知の例として示しています。「棲み込む」という言い方に慣れなければ、「真似る」「模倣する」という言葉でもかまいません。鉋かけに限らず、高度な身体技能を身につけるのに、大変な苦労と経験が必要なことは、当たり前のことであり、暗黙知は、身体知とか、経験知とも呼ばれます。

それに対して形式知というのは、言葉や記号や数式で表現されている知識のことです。熟練工の暗黙知(身体知、経験知)を機械やロボットに取り込もうとするとき、その暗黙知が機械工学やIT(情報技術)などの形式知として表現され、機械やロボット作成のための設計図が必要となります。SECIモデル(→)では、暗黙知を形式知として表現することが、暗黙知の形式知への「表出化」と呼ばれます。

掲載ページ⇒122, 125, 126, 130, 147, 153, 161, 165, 178, 224, 227, 228, 239, 252, 261, 272, 274,   280, 288, 295, 307, 309, 321, 330, 332, 347, 349, 422–426

運動感覚(キネステーゼ)

運動感覚というのは、自分の身体が動くとき、体内で感じる「動きの感じ」を意味しています。地震で身体が揺れるとき、携帯を手に取ろうとしたりするとき、身体が動くときに体内で運動感覚を感じるのです。また身体は動かなくても、立ったり、座ったりしているときも、重力に抗してバランスをとっているさいの運動感覚を感じており、声を出して話したり、歌ったりするときも運動感覚を感じています。ですから、何か動いているものが見えるとき、たとえば、「空を飛ぶ鳥」が見えるとき、「鳥が空を飛んでいるその鳥の動きをみて、動いて見えるという感覚なのではありません。それは動いている事物を外から見ている、いってみれば、動く視覚像の変化なのです。

掲載ページ⇒10, 39, 43, 44, 46, 53, 56, 69, 71, 75, 76, 78, 80, 82, 84, 86, 91, 92, 94, 97, 98, 100, 103, 104, 118, 160, 162, 273, 320, 324

- ゼロの運動感覚

運動感覚が感じられないことが、「欠けた」という意味で「ゼロ」といわれ、「ゼロの運動感覚」と呼ばれます。ゼロはゼロでも、他でもない「運動感覚が欠けている」として欠けたものが何であるかは、意識されて(気づかれて)いるのです。この「ゼロの運動感覚」が赤ちゃんに初めて意識される(気づかれる)のは、赤ちゃんの発する喃語(生後8ヶ月を頂点にして生じるリズミカルに繰り返される言葉にならない発声)を母親がじょうずに真似るとき、”自分”で喃語を発するときに感じる“運動感覚”が母親が発する喃語のときには「感じられない」ことに気づくことをとおして、とされています。

掲載ページ⇒78−82, 84, 93, 94, 98